2005年 07月 19日
スイス憲法の国籍、外国人と日本国憲法の空白
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*マッカーサー法案にさえあった、外国人の位置づけ(第16条 外国人は、法の平等な保護を受ける)を、すっかり削除した日本国憲法である。
外国人について書かない論理を貫いて、国民の要件も憲法に書いていないことは有名である。
現在の日本国憲法が施行される前日、1947年5月2日に、在日朝鮮人の取り締まりを目的とした外国人登録令が出されている。
この勅令は、最後の勅令と言われている。*(鏡・記)
第十条【日本国民の要件】
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
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*スイス憲法では、国籍、外国人についてくわしく決めている。(鏡・記)*
【第2編 第1章 基本権】
第25条(退去、引渡し、送還からの保護)
1 スイス人は、スイスから退去させられることはない。また、外国の機関に引き渡されるのは、本人の同意がある場合に限られる。
2 難民は、迫害を受ける国に強制的に送還され、または引き渡されない。
3 誰も、拷問その他残虐で非人道的な処遇もしくは刑罰を受けるおそれがある国に強制的に送還されない。
【第2編 第2章市民権と政治的権利】
第37条(市民権)
1 自治体(コミューン)の市民権やカントンの市民権を持つ人はみな、スイス市民である。
2 その市民権を理由に優遇されたり、不利に扱われる人はいない。ただし、カントン法が禁じていない限り、市民および職人組合における政治的権利および財産への参加権を調整するためであれば、この原則から離れることができる。
第38条(市民権(国籍)の取得と喪失)
1 連邦は、血統、婚姻および養子縁組による国籍や市民権の取得や喪失について決める。連邦はさらに、その他の原因によるスイス人国籍の喪失および再帰化について決める。
2 連邦は、カントンへの帰化に必要な最小限の要件を定め、また帰化の許可を与える。
3 連邦は、無国籍の子どもについて、その帰化の条件を緩和する。
第40条(外国のスイス人)
1 連邦は、外国にいるスイス人男女同士の絆を強め、その人々とスイスの絆を強めるよう貢献する。連邦は、この目的を追求する組織を支える。
2 連邦は、外国にいるスイス人男女の権利と義務に関する法律を定める。とくに、連邦レベルの政治的権利の行使、兵役と代替役務の実行、貧窮者の支援と社会保険、に関する法律を定める。(投稿者がフランス語憲法から訳した)
【第3編 第2章権限 第9節 外国人の滞在と定住】
第121条
1 外国人の入・出国、滞在および定住ならびに難民の保護に関する法律の制定は、連邦の管轄事項である。
2 スイスの安全を危うくする外国人は、国外へ追放することができる。
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以下にジョン・ダワーによる関連解説を引用する。
「反動的な修正の動きとしては、政府や国会は、在留外国人法に基づいて外国人にも平等な保護を提供するという条項の廃止に成功し、GHQの当初の意図を掘り崩した。この動きの基礎は、佐藤達夫が、翻訳マラソン直後の数時間で作り上げたものである。彼はこうした保護の提供は憲法草案の他の箇所で保証されているから重複であるという理由で問題の条文の削除を求めるという、民生局にとって一見あまり重要でないように見える要求を行った。
アメリカはこれを承認したが、それは日本側が訳文づくりを通して進めていた草案の骨抜きによって、他の保護条項から外国人を締め出していたことに気がつかなかったからであった。
ここで鍵となる言葉は「国民」であり、これは憲法に言う「the people」をよりナショナリスティックな意味へと近づけるために選ばれた言葉だった。そもそも保守派が「国民」という言葉を使ったのは、人民主権の意味合いを弱めるためだけでなく、国家が保証する権利を日本国籍を持つ人々だけに制限するためでもあった。アメリカ側は「すべての個人 all persons」が法の前に平等であることを認めさせようと意図しており、GHQ草案の中には人種や国籍による差別を明白に禁止する文言が含まれていた。(マッカーサー草案第13条―鏡補足)
しかし佐藤たちは言葉のごまかしを通じてこのような保証を削除してしまったのである。「国民」とは、「あらゆる国籍の人々 all nationals」のことだと占領軍には主張し、それによって実は政府は、台湾人やとりわけ朝鮮人を含めた何十万人という旧植民地出身の在日外国人に、平等な市民権を与えないようにすることに成功したのである。この修正のもつ露骨な人種差別性は、その後の国会審議での「用語上の」修正をへてさらに強化されていった。これが1950年に通過した、国籍に関する差別的な法案の基礎となったのである。
(「増補版 敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー岩波書店2004年1月翻訳 下巻159頁)
外国人について書かない論理を貫いて、国民の要件も憲法に書いていないことは有名である。
現在の日本国憲法が施行される前日、1947年5月2日に、在日朝鮮人の取り締まりを目的とした外国人登録令が出されている。
この勅令は、最後の勅令と言われている。*(鏡・記)
第十条【日本国民の要件】
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
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*スイス憲法では、国籍、外国人についてくわしく決めている。(鏡・記)*
【第2編 第1章 基本権】
第25条(退去、引渡し、送還からの保護)
1 スイス人は、スイスから退去させられることはない。また、外国の機関に引き渡されるのは、本人の同意がある場合に限られる。
2 難民は、迫害を受ける国に強制的に送還され、または引き渡されない。
3 誰も、拷問その他残虐で非人道的な処遇もしくは刑罰を受けるおそれがある国に強制的に送還されない。
【第2編 第2章市民権と政治的権利】
第37条(市民権)
1 自治体(コミューン)の市民権やカントンの市民権を持つ人はみな、スイス市民である。
2 その市民権を理由に優遇されたり、不利に扱われる人はいない。ただし、カントン法が禁じていない限り、市民および職人組合における政治的権利および財産への参加権を調整するためであれば、この原則から離れることができる。
第38条(市民権(国籍)の取得と喪失)
1 連邦は、血統、婚姻および養子縁組による国籍や市民権の取得や喪失について決める。連邦はさらに、その他の原因によるスイス人国籍の喪失および再帰化について決める。
2 連邦は、カントンへの帰化に必要な最小限の要件を定め、また帰化の許可を与える。
3 連邦は、無国籍の子どもについて、その帰化の条件を緩和する。
第40条(外国のスイス人)
1 連邦は、外国にいるスイス人男女同士の絆を強め、その人々とスイスの絆を強めるよう貢献する。連邦は、この目的を追求する組織を支える。
2 連邦は、外国にいるスイス人男女の権利と義務に関する法律を定める。とくに、連邦レベルの政治的権利の行使、兵役と代替役務の実行、貧窮者の支援と社会保険、に関する法律を定める。(投稿者がフランス語憲法から訳した)
【第3編 第2章権限 第9節 外国人の滞在と定住】
第121条
1 外国人の入・出国、滞在および定住ならびに難民の保護に関する法律の制定は、連邦の管轄事項である。
2 スイスの安全を危うくする外国人は、国外へ追放することができる。
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以下にジョン・ダワーによる関連解説を引用する。
「反動的な修正の動きとしては、政府や国会は、在留外国人法に基づいて外国人にも平等な保護を提供するという条項の廃止に成功し、GHQの当初の意図を掘り崩した。この動きの基礎は、佐藤達夫が、翻訳マラソン直後の数時間で作り上げたものである。彼はこうした保護の提供は憲法草案の他の箇所で保証されているから重複であるという理由で問題の条文の削除を求めるという、民生局にとって一見あまり重要でないように見える要求を行った。
アメリカはこれを承認したが、それは日本側が訳文づくりを通して進めていた草案の骨抜きによって、他の保護条項から外国人を締め出していたことに気がつかなかったからであった。
ここで鍵となる言葉は「国民」であり、これは憲法に言う「the people」をよりナショナリスティックな意味へと近づけるために選ばれた言葉だった。そもそも保守派が「国民」という言葉を使ったのは、人民主権の意味合いを弱めるためだけでなく、国家が保証する権利を日本国籍を持つ人々だけに制限するためでもあった。アメリカ側は「すべての個人 all persons」が法の前に平等であることを認めさせようと意図しており、GHQ草案の中には人種や国籍による差別を明白に禁止する文言が含まれていた。(マッカーサー草案第13条―鏡補足)
しかし佐藤たちは言葉のごまかしを通じてこのような保証を削除してしまったのである。「国民」とは、「あらゆる国籍の人々 all nationals」のことだと占領軍には主張し、それによって実は政府は、台湾人やとりわけ朝鮮人を含めた何十万人という旧植民地出身の在日外国人に、平等な市民権を与えないようにすることに成功したのである。この修正のもつ露骨な人種差別性は、その後の国会審議での「用語上の」修正をへてさらに強化されていった。これが1950年に通過した、国籍に関する差別的な法案の基礎となったのである。
(「増補版 敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー岩波書店2004年1月翻訳 下巻159頁)